AI活用やDX推進が進むなか、DX人材への転職は将来性があるように感じる。一方で、データ分析やプログラミングといった高度な専門スキルを前に、「今さら追いつけない」と尻込みしてしまう気持ちもある。これまでIT分野に触れてこなかった文系人材はDX領域でどう活躍できるのか。デジタル共創オフィサーとして社内外のDX人材の育成活動などを行っている、住友生命保険相互会社 エグゼクティブ・フェロー 岸和良氏に、実像を聞いた。
「デジタル人材が不足している」現場のリアル
デジタル人材の不足をよく耳にする。2030年には最大約79万人のIT人材が不足する※と予測されており、政府や企業もリスキリングを後押ししている。「DX人材」はキーワードとしてすっかり定着しているが、実はすべてのDX人材が不足しているわけではない、と岸氏は話す。 ※経済産業省「IT人材需給に関する調査(概要)」より
「DX人材には、①ビジネスアーキテクト、②デザイナー、③ソフトウェアエンジニア、④データサイエンティスト、⑤サイバーセキュリティの5種類があります。しかし、実はこの5種類すべてにおいて、人材が不足しているわけではありません」
たとえば、製品やサービスのありかたをデザインするデザイナー。外注することができるので、企業が大量に抱える必要はなく、人手は足りているのだという。また、一時期もてはやされたデータサイエンティストについても、「今後は生成AIで代替できる部分も出てくる可能性がある」と岸氏は厳しい見方を示す。
さらに、ソフトウェアエンジニア、サイバーセキュリティについては、「今後需要が増える仕事」ではあるものの、コツコツとした作業が求められ、就業には「覚悟が必要」だと言及する。「特に、サイバーセキュリティは、常に攻撃にさらされ、追われ続ける仕事です。適性がない人が続けていくのは、かなり厳しいでしょう」と苦い顔の岸氏。
こうしたなか、岸氏が「圧倒的に不足している」と断言するのが、ビジネスアーキテクトだ。「ビジネスアーキテクトは、DXで何を実現したいのかを定めたり、業務やビジネスの変革をどう進めるかを描いたりする、DXの“上流”に立つ人材です。外注するのが難しく、どの企業も人材確保に苦労しています」と明かす。
既存事業のどこに問題があり、デジタル技術を使ってそれをどう改善するかを考えるのも、ビジネスアーキテクト人材の業務だ。事業が右肩下がりになったとき、新しい事業を立ち上げるなどの役割も期待されている。岸氏は、「現場で何が必要かを整理する仕事なので、業界特有の仕事の流れも理解している必要があります。製造業なら製造業、金融なら金融をよく知っていないと問題提起や改善策の提示ができない。だから外注が難しく、常に人手不足なのです」と人材確保が難しい背景を説明する。
ビジネスアーキテクトに求められる意外なスキルとは
DXという言葉から、データ分析やプログラミングといった高度なデジタルスキルを思い浮かべるだろうが、必要なのはそれだけではない、と岸氏は指摘する。「DXの現場で求められるのは、最新技術を使いこなす力以上に、人に説明し、納得を得て、人を動かす力です。社内の関係者や顧客と向き合い、『この機能があったらビジネスがこう拡張する』『このシステムを入れることでどう変わるか』などをプレゼンする力や、顧客の考えを読み取る想像力が必要になります」。論理を言葉にし、相手の立場を読み取りながら折衝する力は、まさに文系が得意とする領域だ。つまり、文系人材の資質はビジネスアーキテクトと相性がいいことが分かる。
また、デジタルスキルそのものは永続的な武器にはならないと岸氏は言う。「データサイエンスのスキルも、プログラミングも、いずれ陳腐化します。しかし、企業が事業活動を続ける限り、業務改善や事業創出は避けて通れません。しかも、その方法は企業によってさまざまです。となれば当然、企業が求めるDX人材は、最新技術を追いかけ続ける人材ではなく、人と向き合い、答えのない問いに耐えながら事業を設計し続けられる人だといえます。その素養を最も備えているのが、柔軟に人と折衝できる文系人材だと考えられます」というのは、文系人材にとって嬉しい情報だ。
DX人材への第一歩は「個人事業主の感覚を身につける」こと
では、実際に文系人材がDX転職を目指す場合、何から始めたらよいのだろうか。
「まずは、ビジネスの流れを知ることでしょう。具体的には、ビジネスの基本である商品、顧客要素、販売チャネル、オペレーション、事務。この5つの基本を理解したうえで、デジタルスキルをどう用いるかを考えていくことが重要です」と岸氏は力説する。
ここで一つ疑問が生まれる。「ビジネスの基本」はどこで学べばいいのだろうか。真っ先に思い浮かぶのが、社会人大学やビジネススクールだが、その効果には限界があると岸氏は指摘する。「学ぶこと自体は悪くありません。ただ、知識を得ることと、ビジネスを動かせるようになることは別物なのです」
そこで、岸氏が勧めるのは、実際にビジネスを経験してみる、という挑戦だ。とくに岸氏が推奨するのは、商品設計から顧客獲得、業務効率化までを一気通貫で考える個人事業主的立ち位置だ。たとえば、副業(就業規則や届け出は前提条件だが)としてブログで集客することも、立派な個人事業の体験になる。誰に向けてどんなテーマを発信するのか(商品・顧客要素)、どこで発信すればより多くの人に届くのか(販売チャネル)、どうすれば効率よく質の高い記事を書けるのか(オペレーション)、ブログの開設や収益をどう管理するのか(事務)といった点を考えれば、十分にビジネスの基本を学ぶことができる。副業しなさいと言っているのではなく、個人事業主の立ち位置で経験したらよいということだ。
そして岸氏は、「人脈を広げる手段を、従来の名刺交換からオンラインへと広げる。ファンマーケティングを目的にSNSで情報発信を行う。そうした取り組みだけでも、DX人材への第一歩を踏み出しているといえます」と強調する。
ビジネスは、机上で理論を覚えることではない。自分の仕事や活動に、どのようなデジタルスキルを掛け合わせたら効率化できるか、価値を高められるかを考え続けること。その積み重ねこそが、DX人材としての土台になる。「DX人材になりたいという学生がいたら、私は『商学部へ行け』とアドバイスするでしょうね」と岸氏は笑う。
DXの中核を担うビジネスアーキテクトは、必ずしも理系人材の専売特許ではない。岸氏が示すDXの実像は、技術を目的化せず、事業や顧客の変化を読み取り、関係者と対話を重ねながら形にしていくものである。デジタル人材不足が叫ばれる今、人の意図をくみ取り、言葉で調整し、正解のない問いに向き合ってきた文系人材にこそ、大きな可能性が開かれているといえよう。
(取材協力=岸和良 執筆=相澤洋美 撮影=片桐圭)