転職ロマン12

ビール好きですらなかった元俳優が、愛知のクラフトビール工房で汗を流す理由

「クラフトビール事業は親友とその奥さんの夢でした。今では僕の夢にもなっています。もっとおいしいビールを造って、もっとたくさん売りたいです」

名古屋市内の和食店に来ている。テーブル席で筆者と向かい合わせに座っているのは、沖縄県出身の石井弘道さん(仮名、48歳)。細身で背が高く、若々しい雰囲気。中学校時代から俳優志望だったという経歴に無理はないが、印象には残りにくい風貌でいかにもお人よしそうな雰囲気を漂わせている。失礼ながら、アクション映画に登場してもすぐに倒されてしまう端役が似合う。俳優になっても大成はしなかった気がする。

2022年の春までは地元・沖縄の免税店でやり手の時計販売員だったという石井さん。学生時代からの親友だという岡田さん(仮名)の求めに応じて愛知県に移り住み、当時彼が始めたばかりのクラフトビール会社に醸造担当者として転職した。

沖縄に戻る前後は俳優として活躍する道を長く模索していた石井さん。一貫性のあるキャリアとはとても言えない。そもそも石井さんはビール好きではなく、クラフトビールという概念すら知らなかったらしい。今では「醸造に集中したいので販売などの他の業務はあまりやりたくない」と公言するほどになっている。

母の望みだった教職は断念。風呂なしアパートでの貧乏生活で俳優を夢見た20代

石井さんの仕事観と転職ストーリーを聞く前に、「母親から教師になれと言われて」入学したという大学時代にさかのぼりたい。浪人して入ったという愛知県内にある私立大学だが、すでに石井さんの「脱線しつつ集中する」という特異な性格が表れている。

「うちは母子家庭で、僕は一人っ子でした。母親の願いをかなえたかったのですが、教職課程の単位を落としてしまったんです」

理由は体育会系の部活に打ち込み過ぎたこと。週6日の練習に欠かさず参加し、講義にはまともに出られなかった。石井さん、不真面目なのか真面目なのかよくわからない人物である。

本人の夢は教師ではなく俳優になることだった。大学卒業後は沖縄に戻らず、有名脚本家が主催する俳優養成塾へ。農作業をしながらの合宿生活で2年間は帰宅を許されないというカルト教団並みの厳しさに耐えた。

俳優養成塾を卒業してからは東京都内の風呂なしアパートで暮らしながら、日雇いのアルバイトをし、俳優として花開くことを目指した。しかし、30歳になるタイミングでいったん諦めている。結婚したい恋人がいたからだ。

「公演で知り合った、同じ俳優養成塾の後輩です。僕と一緒に沖縄に来てくれることにもなり、責任を感じました」

「腹筋二千回」の無茶な特訓で血尿。妻子ありの36歳で直面した挫折と退職

妻と暮らしながら、イベント関係の仕事で契約社員として食いつないでいた石井さん。2年半後、俳優になる夢を思い出させてくれる話が舞い込む。

「空手や琉球古武術をベースに、ストーリー仕立ての常設舞台を作るという構想でした。沖縄県の補助金が1年間は出ます。サラリーをもらってパフォーマンスができる、願ったりかなったりの環境です」

しかし、石井さんの希望はすぐに絶望に変わった。一流のエンターテインメントを作ろうと気負い過ぎた演出家が、石井さんたちパフォーマーに「腹筋二千回」から始まる過度のトレーニングを強いたのだ。15人近くいたパフォーマーがすぐに3分の1になってしまった。

「ウォーミングアップと称して3時間も筋トレをさせてからダンス、空手の練習をして、ようやくパフォーマンスのレッスンに入ります。それが週に6日間です。人生で初めて血尿が出るほど体を痛めてしまいました」

妻はすでに長男をおなかに宿していたが、石井さんは体調を優先して退職。36歳のときだった。コールセンターで正社員だった妻が家計を支えてくれた。石井さんは今でも感謝している。

ブランド品に興味ゼロでも猛勉強で「トップ販売員」へ

失業保険をもらいながら職業訓練校に通うことにした石井さん。俳優以外にやりたい仕事は特にないが、子どもが生まれることもあって働いて稼いでいかねばならない。

「当時は沖縄にも“爆買い”の中国人観光客が押しかけていました。何かの役に立つだろうと中国語を習うことにしたんです」

中国語学校の校長に勧められたのが、“爆買い”の客が特に集中する免税店だった。石井さんは「中国語検定3級」の資格を評価されて入社。意外な能力を発揮した。

「沖縄ではブランドショップに勤めるのはちょっとしたステータスです。でも、機械の専門知識が必要な高級時計の部門に行きたがる人は少なくて、特に女性は嫌がります。僕はブランドものにはまったく興味がありませんが、仕事としてやるからには『わからない』では済まされません。およそ30種類もある時計ブランドについて、店の誰よりも詳しくなろうと猛勉強しました」

石井さんは凝り性なのだろう。器用ではないが、積み重ねがものをいう職業が向いているのかもしれない。あるブランドで店内の「トップ販売員」になったご褒美として海外研修旅行をプレゼントされたこともある。石井さんは「会社から必要とされている」と誇らしく感じながら忙しい日々が過ぎていった。

家族ぐるみの付き合いだった親友の妻が急逝。「代打」の使命が回ってきた

37歳でようやくつかんだ適職。沖縄では高水準だったという給料をもらい、次男も誕生した。そんな順風満帆な生活を揺るがす出来事が起こる。冒頭で紹介した岡田さんの妻が脳腫瘍で倒れ、そのまま他界したのだ。

「わが家とは家族ぐるみの付き合いで、コロナ禍でもオンラインで交流していました。いつか一緒に仕事したいと言われ、老後ならば楽しそうだなと思っていたんです。開業準備中に奥さんが倒れたとき、岡田は泣いていました。学生時代からの長い付き合いですが、彼の涙を見たのは初めてです。『沖縄からパワーを送ってくれ』と頼まれて僕たち夫婦も回復を祈りましたが、奥さんは旅立ってしまいました」

幼い子どもを2人残しての急な逝去だった。しかし、夫婦の夢でもあったクラフトビール工房はすでに完成し、借金も少なくない。岡田さんとしては一日でも早く開業し、売り上げを立てなければならない。東京の同業他社でビール醸造を学ぶ1カ月間の研修日程も決まっていた。

「当然、岡田が東京に行く予定だったのですが、母親のいない状況で子どもを置いていくわけにはいかないし、その他の開業準備も膨大にあります。『オレの代わりに醸造をやってくれんか』と頼まれました」

妊娠中の妻が放った強い言葉。順風満帆だった沖縄の日々を捨て、再び愛知へ

今度は石井さんが悩む番になった。沖縄には実家があるし、活躍できる職場もあり、仲間もいる。そして、県外から移り住んでくれた妻は3人目の子どもである長女を妊娠していた。岡田さんが愛知県で作ったばかりの会社に転職するのはリスクがありすぎる。

「他に頼れる人がいない岡田は必死だったのでしょう。毎日のように『今日は店の内装ができたよ』といった写真付きのメールを送ってきたんです。愛知県のいいところみたいな移住情報まで。僕も学生時代は愛知に住んでいたんですけどね(笑)。会社に入ってくれたらこれぐらいの給料を毎月払える、という金額も提示してくれました」

もともと石井さんはクラフトビールに興味がなく、「醸造をやりたいと思ったことはみじんもない」と明かす。でも、親友を助けたいという思いはあり、「自分がやるしかない」とも感じていた。そんな石井さんの背中を最後に押してくれたのは妻の短い言葉だ。

「(あなたは岡田さんの会社に)行ったほうがいいでしょ」

8年間勤めた免税店での業務を後任に引き継ぎ、多くの人に惜しまれながら退職した石井さん。職場の仲間から贈られたという色紙を見せてもらったが、石井さんへの感謝や励ましの言葉が溢れている。それだけ石井さんが愛情を注いだ仕事だったのだろう。

妻子と離れ、社長の家で同居。月300時間労働の疲れと親友とのケンカ

愛知県での再スタートは「表情がなくなるほど」の苦しいものだった。最初の1年半は沖縄にいる妻子とは別居し、社長である岡田さんの自宅で同居。月に1度だけ沖縄に帰っていたという。家族を愛する石井さんはつらかったに違いない。

ビールに関する知識はゼロだった。1カ月間の醸造研修ではとても間に合わず、会社の工房でビールを造っては試飲し、疑問点を自力で調べて解決しなければならない。限りなくぶっつけ本番だが、愛知県ではクラフトビールはまだ黎明期。会社は成長を続けている。

「社長の岡田は売り上げを伸ばすことに必死なので、企業などからのコラボ企画を二つ返事で受けてきます。醸造担当者としては定番品を何度も造って完成に近づけたいのですが、その暇がないぐらいにコラボ商品などを造らねばなりません」

当初は月300時間も働いていたと振り返る石井さん。それは岡田さんも同様だ。社長とは言え、醸造以外のすべてを一人でやらねばならない。お互いを思いやる余裕がなく、2人きりの会社で言い合いになることもあった。

「学生時代はゴールのないヒッチハイク旅も一緒にやった仲なので大丈夫だろうと思っていたんです。でも、生活も仕事も一緒だと言わなくてもいいことを言っちゃったり、知らなくてもいい一面が見えてしまったりします。ケンカをしては仲直りすることの繰り返しです」

主役はあくまで親友と亡くなった奥さん。前に出ず、ビールの味で自分を表現する

今では石井さんの家族も愛知に合流し、妻はビールのラベル貼りや工房兼店舗での販売を手伝ってくれている。穏やかな気持ちで働けるようになった石井さんは「会社の売り上げを毎年120%ずつアップする」という目標に向けてビール造りにいそしんでいる。石井さんが今回のインタビュー取材場所に指定した和食店も当然ながら取引先だ。ただし、メディア露出を含めた営業活動はできるだけ社長が担ってほしいと思っている。

「僕は元俳優だけに、自分が目立つことにちゅうちょする気持ちがあります。主役はあくまで創業社長の岡田と亡くなった奥さんですから。この会社を軌道に乗せることは自分の夢にもなりましたが、僕は前に出るのではなく、ビールの味を通して自分を表現できればいいなと思っています」

演技ではなくビールで自己表現、などとうまいことを言いたがる石井さん。かつては高級時計の販売でも同じことを言っていた気がする。凝り性の石井さんだが、凝る対象にはこだわりがない。その代わりに、「与えられた役割を完璧に全うする」という職人的な誠実さがある。

転職ロマン12イラスト
イラスト=新倉サチヨ

誰かに求められて奮起する人生が醸す、コクのある後味

俳優業を諦めてからの石井さんはやや受け身な働き方をしている。しかし、安定よりも「親友の頼み」を優先させたところに彼のロマンが輝く。

「岡田の人生に巻き込まれている、と僕も感じることがあります。たぶん、僕は巻き込まれ好きなのでしょう(笑)。自分で作った人生設計よりも、誰かに求められたほうに意味を覚えてしまいます」

どこに住んで、どんな仕事をするのか。思い描いた通りに実現できる人は賢いし運にも恵まれている。しかし、置かれた場所で体調を崩すほどに働き、失敗と小さな成功の両方を体験してきた石井さんの職業人生は味わい深いと筆者は思う。キレはないけれどコクがあるビールのようだ。

インタビューの途中、石井さんと岡田さんと同じ大学に通っていたという別の「親友」が和食店に現れ、石井さんが醸したクラフトビールをさらに注文。彼rは学生時代から変わらないようなうれしげな笑顔を浮かべていた。求められて巻き込まれる転職の先にも充実と達成はあるのだ。

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