転職は年収を大きく上げるチャンスだ。しかし、「厚かましい」と思われたくなくて、希望年収を切り出しにくいと感じる人は少なくない。転職8回で年収240万円から年収1000万円(30歳時点)の会社員にまで上り詰めた「転職のプロ」motoさんは、「年収交渉はお願いではなく、条件のすり合わせ」と語る。誰に、いつ、どう伝えれば、適切に年収を上げられるのかを聞いた。
年収交渉は「お願い」ではなく「商談」である
同じ会社で働き続けていると、給与が上がるタイミングというのは驚くほど少ない。営業のような歩合制は別として、普通は管理職などの役職付きにならなければ、ぐんと上がる機会は訪れないものだ。そこまで待てないという人が年収を上げたいのなら、「転職」という選択が最も手っ取り早いだろう。
しかし、いざ転職活動をして面接へ進むと「自分からお金の話は切り出しにくい」「これだけ欲しいと要求するなんて、図々しいと思われないか」と尻込みしてしまう人が多い。だが、そうした人に対して、motoさんは「年収交渉に対する認識が誤っている」と指摘する。
「希望年収を伝えるのは『これだけお金をください』というお願いではありません。いわば条件交渉です。転職は、自分という商品をいくらで買ってくれるのかという商談の場でもあるからです。『私にはこういう能力と実績があります。御社はそれに対していくら払えますか』という条件のすり合わせであるという認識をまず持ってほしい。お互いにミスマッチを起こさないためにも、条件面の希望をきちんと伝えるのは、むしろ誠実なコミュニケーションであると僕は思っています」
図々しく見えるのは、交渉ではなく、何の根拠もなく自分の要求だけを押し通そうとするような場合だ。逆に言えば、根拠さえあれば、金額の話は堂々とできる。自分はどんな成果を出せるのかを説明したうえで希望額を伝えれば、「企業側は不快に思うどころか、自分の市場価値を客観視できている人だ、と評価さえする」とmotoさんは言う。
では、その「根拠」はどうつくればいいのか。出発点は自分ではなく、相手にある。
「基本は『相手が何をしてほしいのか』を知ることです。なぜこの求人を出しているのか、募集の背景をまず把握しましょう。それを踏まえたうえで、そのために自分が何をできるのかを話す。この順番が大切です。これができていない人が意外と多い。相手が求めていることは一切気にせず、自分ができること、やってきたことばかりをアピールしてしまうんです」
このとき、実績を必要以上に“盛る”必要はない。自分がどのようにして成果を出してきたのかを具体的に語れば、採用側もどんなふうに活躍してくれるのかが想像しやすい。相手に「この人がうちの現場に入ったら、こう働いてくれそうだ」とイメージさせることが肝心なのだ。
希望額の算出の指標は「市場価値」「前職の年収」「業界平均」
根拠のつくり方がわかったら、次は肝心の金額だ。いくらくらいを希望するのが適正なのか。その土台になるのが自分の「市場価値」だが、motoさんは「実際に市場に問うてみるのが手っ取り早い」と話す。
「一番オーソドックスなのは、転職エージェントと面談して、実際に転職市場へ出たらいくらくらいのオファーがありそうか、直接聞いてみることです。スカウトサイトに登録するだけでも、自分はどれくらいが適正年収か教えてくれるサービスもあります。もっと身近なところなら、知り合いやクライアントに『仮に御社に入ったら、どれくらい出しますか』と聞いてみるのもいいでしょう。もしこのとき『転職するのならうちに来てよ』と言われたら、それはあなたの市場価値が高いという何よりの証左になります」
もう一つ、欠かせない指標が「前職(現職)の年収」だ。採用側の人事にとって、現在の年収は最もわかりやすい根拠となる。ここで、年収500万円の人がいきなり1000万円を希望しても、「いやいや、あなたは今500万円なんでしょう」と思われてしまう。同じ業界に転職するなら、前職の年収をベースにしつつ、役職や実績の上乗せ分を交渉していくのが基本だ。ただし、「業界を変える場合は話が別」とmotoさんは話す。
「業界によって平均年収は大きく違います。小売業界と金融業界では、平均年収が全然違うのは周知の事実ですよね。例えば、小売業界の人が金融業界に行くのに『今の年収は500万円なので、そこから少しでも上がればいい』なんて言ってしまうと、足元を見られてしまいます。業界を変えるなら、その業界の平均年収や、その会社にいる人が実際にどれくらいもらっているのかをベースに金額を算出していくと、ズレの少ない正しい交渉ができると思います」
moto(本名・戸塚俊介)
HIRED株式会社 代表取締役
1987年長野県佐久市生まれ。新卒で地方ホームセンター(綿半ホームエイド)へ入社後、マイナビ、リクルートなど8社へ転職し、営業部長や事業責任者を務める。2018年に副業で立ち上げた転職情報メディア『転職アンテナ』が評判に(2021年に会社売却)。現在は2019年に創業した転職広告会社HIREDの代表取締役。著書『転職と副業のかけ算』は発行部数10万部超。2026年4月に転職を前提としない無料のオンライン転職相談サービス「エージェントの窓口」を立ち上げ、累計申込者数は2000名を突破(2026年8月現在)。
「年収アップの希望」は最初から匂わせておき、最終面談で交渉へ
金額の目安が固まったら、いよいよ伝え方だ。ここで多くの人が悩むのが、いつ、誰に切り出すかだろう。motoさんの答えは「交渉の本番は最後、ただし布石は最初から」だ。
「交渉のベストタイミングは、内定が出る直前。最終面談やオファー面談です。ただ、内定が出そうになった途端に急にお金の話をするのは、それこそ図々しい。だから僕は早い段階から『今回の転職では、年収を上げたいという思いがあります』と伝えることをお勧めしています。そうすれば、最後に年収の話が出てきても違和感がないからです」
志望動機では「キャリアアップのため」と語っておきながら、内定が出た途端にお金の話を持ち出すから、言い出しにくい空気が生まれる。それならば、最初から伝えておけばいい。それでもし「お金が欲しくて転職するの?」と敬遠されるような会社なら、そもそも入らないほうがいいだろう。
「伝える相手としては、給与を実務的に握っている人事が基本です。エージェント経由の転職なら、早い段階からエージェントに『800万円以上でないと入らない』と正直な希望金額を伝えておくといいでしょう。年収交渉が得意なエージェントもいますから、その場合はお任せしてしまったほうが希望も通りやすくなります。直接応募の場合は、まずは相手の出方を待つ。そのうえで、条件を聞かれたら『800万〜900万円は欲しい』などと一定の幅を持たせて希望を伝えておくのがセオリーです」
こうした交渉を「やりすぎると嫌らしく思われないか」と心配する人もいるはずだ。だが、大事なのは金額そのものではなく「相手からどれだけ『欲しい』と思わせられるか」にある。
「年収にして30万〜50万円の差は、企業からすれば月数万円程度、端数みたいな数字です。『どうしても来てほしい』と思われていれば、会社は出してくれるものです。逆に『こちらが選ばれている側だ』というマインドでいる限り、年収交渉はできません。自分のほうが選んでいる側なんだ、という優位な状態に転職活動を持っていくことが大事です。そのためには、複数社の選考を並行して進めることも一つの手だと思います。ほかに内定が出ていれば、こちらも強気に出やすいですから」
リファラル採用は「友達マジック」に要注意。逆質問で相場を探る
ここまでは通常の選考を前提にした話だが、注意したいのが、近年増えている知人の紹介、いわゆる「リファラル採用」。気心の知れた相手からの誘いは魅力的に見えるが、motoさんの見立ては意外と辛口だ。
「リファラルは、個人的にはあまりお勧めしていません。友達や同僚が働いていて楽しい会社でも、自分が入って楽しいかどうかは別の話。友達も働いているから大丈夫だ、というフィルターもかかってしまうので、実際よりよく見えてしまう。入ってから『聞いていたのと違った』となるケースも少なくありません」
構造的な問題は、まさに本記事の主題である「条件のすり合わせ」がしづらいことだ。「具体的にこれってどうなの?」と聞いても、その人のわかる範囲の話しか出てこない。詳細を確認できないまま話が進んでしまうケースは多い。しかも、一度話が進むと途中で断りにくい。紹介してくれた友人の顔をつぶすことにもなり、疑問を抱いても後戻りしづらくなる。
さらにリファラルの場では、「で、いくら欲しいの?」などとストレートに聞かれることも少なくない。友達の手前、謙虚な金額を口にすると「じゃあそれで」と足元を見られかねない。ここでmotoさんが使うのが「逆質問」だ。
「僕なら逆に『御社のマネージャーは、今どれくらいもらっているんですか』と聞き返しますね。会社には給与テーブルがあるんだから、こちらに答えを求めないでくれ、という話です。『1200万円くらい』と言われて、自分の現年収が900万円なら『では1000万円くらいですかね』と返します。自分は100万円アップだし、会社側も相場より安く採用できる。こんなふうに現実的なラインですり合わせができるんです」
リファラルであっても、条件面のすり合わせを省略していい理由にはならない。むしろ関係性に甘えず、通常の転職以上に丁寧に確認することが、紹介者との関係を守ることにもつながる。
年収は「業界×役職」の掛け算で最も上がる
こうした交渉の積み重ねで、motoさん自身、リクルート時代の540万円から、ITベンチャーへの転職で700万円、その次の転職で1000万円と、年収を倍々ゲームのように伸ばしてきた。年収アップのポイントを、本人は「平均年収の高い業界への転職と役職の掛け算」と言い切る。
「年収を上げるなら、平均年収の高い業界に移ることと、役職を上げること。この2点がとても重要です。どちらか一方でもよいですが、僕のように同時に実現できると、上り幅がぐんと大きくなるでしょう」
ただし、motoさんは「キャリアにおいて年収はとても重要だが、それだけを目的にすると道を誤る」とくぎを刺すことを忘れなかった。
「キャリアを積み上げたいのなら、その会社で『どんな経験を積み、何ができるようになれるか』がすべてです。経験を積み、できることを増やし、成果という実績を積み上げることができれば、年収は後からついてきます。この順番を対価が先、経験を後にすると、のちのち会社に居づらくなったり、仕事が思うようにいかなかったりして、痛いしっぺ返しを食らうことにもなりかねません。この順番を間違えないようにしてほしいと思います」
しっかり条件交渉はしつつ、その土台となる市場価値=経験を積み上げることが最優先。それこそが、キャリア戦略の本質なのだ。
(取材協力=戸塚俊介 執筆=田中裕康 撮影=大村洋介)