父親ほど年上の受領・藤原宣孝と結婚した紫式部

――今後、大河ドラマでも、史実どおり、紫式部は宣孝と結婚して一女をもうけるという展開になると思われます。やはりこの結婚は、紫式部の家がお金に困っていたからなのでしょうか?

【大塚】まず前提として、本当に貧乏な女性だったら結婚自体、できないんですよね。新婚夫婦の家計は妻側で出すわけなので。だから、当時の小説『うつほ物語』には、貧しい女性と見ると、どんな美人でも、男はその家の土地すら踏まないようにすると書いてあるぐらいです。

【辛酸】今で言う「貧乏がうつる」みたいな感じですね。本当に「金の切れ目が縁の切れ目」。貧しくても心が美しい女性は魅力的、という考え方はなかったんですね。

【大塚】結婚した当初は貧乏じゃなくても、妻の両親が死んで困窮したら、夫からも捨てられてしまうということもありました。婿取り婚の当時はシビアだったんですね。

【辛酸】紫式部と宣孝はどのぐらい年齢差があったんですか?

【大塚】親子ほど、と言われていますね。自分の父親でもおかしくない年齢の男性と結婚したといわれています。紫式部は当時としては結婚が遅くて27歳ぐらいだったとすると、宣孝は47歳ぐらいでしょうか。紫式部の正確な生没年はわかっていないんです。

大塚ひかりさん
撮影=阿部岳人
大塚ひかりさん(撮影協力/ジュンク堂書店池袋本店)

安定のための年の差婚ではなかった?

――ではなぜ紫式部はそんな年上の男性と結婚したのでしょうか?

【大塚】でも、紫式部の場合は経済的な理由から、受領として安定収入があった宣孝と結婚したというわけではないと思いますよ。少なくとも、経済的な理由“だけ”ではなかったはず。

【辛酸】いわゆる「パパ活」ではなかったと。ちょっとは宣孝に対して好意があったということですか。

【大塚】そうだと思います。紫式部の男性の好みというかキャラクターもあったでしょうしね。

【辛酸】たしかに、紫式部は賢くて精神年齢が高かったはず。若い男性だとバカみたいに見えてしまいそうですよね。現代でも父親ほど年齢が上の男性が好き、という女性はいますし、紫式部は時代を超えている人なので、時代を先取りしたわけじゃないだろうけれど、そういう感性を持っていたのかな。

辛酸なめ子さん
撮影=阿部岳人
辛酸なめ子さん

【大塚】あと、お母さんを早く亡くし、お父さんに育てられたから、ちょっとファザコン的なところもあったかもしれないですよね。だから、嫌々、年上の男と結婚したわけではなく、夫との間に愛情はあった。2人がやりとりした和歌からも、それが感じ取れます。

【辛酸】紫式部は頭が良すぎて、周りの男性が引いていたかもしれませんよね。会ってみて「この女性、きついな」と思われてしまったとか。だから、ちょっとおっとりしたふりをしたとも書いていますし、そういう意味では、どんな厳しい発言をしても受け止めてくれる年上の男性はぴったりだったんでしょう。