アメリカのスポーツの特徴「合理性とエンターテインメント」

アメリカ発祥のスポーツにはイギリスとは違う特徴がある。アメリカ資本主義はイギリスのように植民地経営を土台にして成立しているのではなく、合理性と効率性を基底にしており、それがスポーツにも反映されているのだ。

これはアメリカ型ではプレーヤーのポジション(役割)がほぼ固定化されていることに見ることができる。

ベースボールにおけるピンチランナーやピンチヒッターはその典型で、役割は一回だけの「走ること」と「打つこと」に限定されている。バレーボールのセッターはトス、リベロはサーブレシーブだけに専心して他のプレーは原則的に担当しない。

選手は割り振られた仕事だけに特化し、それ以外のプレーはほとんどおこなわない。専門性を高めることで効率化と合理化が促進されるのだ。

ルール違反すれすれの行為=「頭脳プレー」

もう一つの特徴はイギリス型のように男らしさにはまったくこだわらないことだろう。フットボールにおけるオフサイドのようにボールに密集していく心性はアメリカ型にはない。むしろそのような執着をナンセンスだと思っている節がある。ルール違反すれすれの行為は頭脳プレーとして称賛される傾向があるからだ。

大野哲也『大学1冊目の教科書 社会学が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)
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ベースボールの盗塁は英語でスチール(steal)といい、文字どおり「盗み」を意味する。卑怯そのものの行為ではあるが、ルールに則った正当なプレーである。バスケットボールやバレーボールのフェイントは相手を騙す行為だが、怒ったり汚いプレーだと批判したりする人はいない。

一つの試合で大量に得点が入ることもイギリス型とは異なる点だ。バスケットボールならば両チーム合わせて200点近く入ることがあるし、バレーボールは1セットが25点先取である。ほとんど点が入らないサッカーを思い浮かべてみれば、まったく指向性が違うことがわかる。アメリカ型スポーツにはエンターテインメントの要素が強いのだ。

イギリス型とアメリカ型は同じ資本主義の申し子とはいえ、根底に流れている思想がまったく異なっているのである。

日本のスポーツの特徴「規律・訓練」

後発国としての近代化を強いられた明治政府はスポーツの普及を後押しし「体育」として学校教育に導入していった。心身を鍛え健康の増進に役立つからだ。それは「富国強兵」にもマッチしていた。だがこれを短期間で達成しなければならないという事情は、スポーツの核心である遊びの要素を排除していった。楽しんでいる場合ではなかったのだ。

スポーツは体育となって一般化していったが、そのプロセスで遊戯の要素は失われ、楽しむよりも、礼儀を重んじ、努力を重ね、忍耐に忍耐を重ねる規律・訓練(権力側にとって好都合な価値、思考、身体技法などを日々の訓練によって人びとに埋め込んでいく権力のあり方)に変化した。これが現在の体罰問題、しごきや根性一辺倒などの間違った指導方法、監督や先輩・後輩間の礼儀作法の問題、勝利至上主義などにつながっている。

我々の日常に深くなじんだスポーツに、各国それぞれの「近代」が刻み込まれていることがおわかりいただけただろうか。

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