ムラ社会が企業共同体に置き換わった

【江夏】日本にはヨーロッパのような産業別労働組合が発達しなかったんですね。ヨーロッパの場合、産業別労働組合が企業のみならず政治や行政にも影響力を行使して、労働者の教育や救貧の仕組みを社会レベルで構築するように働きかける。しかし日本ではそうした影響力がないため、労働者の扱いが企業任せになった。

最近私は、日本には「社会」も「市場」もないのではないかと考えています。概念的な意味で。社会も市場も、自立した個人が、同様に自立した個人と取引、対立、連帯することで成り立つ。ヨーロッパの人々は、社会を成立させるための政治や行政の調整力に重きを置いています。アメリカはある意味で、市場が社会を代替してきました。政治や行政の市場への介入は最小限で、自立した個人が自己責任的に能力開発を行い、市場に参加する。日本では社会も市場も国レベルではなく企業レベルで存在し、その範囲での労使関係が大切になります。

描かれた成長の階段を上ろうとしている男性
写真=iStock.com/takasuu
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【海老原】江夏さんのいう社会とは「市民社会」ですよね。日本にも社会はあったのですが、それは、村落共同体、いわゆるムラ社会であり、それが企業共同体に変わったということでしょう(笑)。江夏さんの「社会と市場」の話は後ほど、しっかり伺いますね。

落ちこぼれないよう階段を上り続ける日本人たち

【海老原】さて、日・欧米で異なる給与カーブが、雇用問題にも影響を与えた、という話に移りましょう。それが今日の本題ですから。

日本と違って、欧米ではなぜ男性も育児休暇を何の躊躇もなく取得するのか。

欧米のノンエリートの場合、熟年になって仕事の腕を上げても、給与はさほど上がりません。逆に言えば、若い人もさほど安くない。そうしたら企業は、熟練を積んで教育投資も不要なミドル層を大切にするでしょう。それが、俗にいうシニオリティとなり、解雇の時など、勤続の短い順に行われることになります。つまり、日本と真逆で、ミドル層の雇用が安定し、若年者が職にあぶれる社会になっています。

同時に、一般労働者には、昇給・昇格チャンスがないから、労働意欲がなかなか湧きません。だからモチベーション管理や統率に経営は苦慮します。これが欧米型の問題点ですね。

日本は正反対で、年功昇給した熟年の給与は高く、若年は安い。つまり、若年未経験者は低給だから、大量に採用される。対して熟年は、実務能力の割に給与が高いから、不況になると職を追われる。そう、若年の雇用が安定し、ミドルの雇用危機が叫ばれるわけです。

そして、年齢とともに給与・役職が上がるので、皆、この階段から落ちこぼれないようにと、労働意欲が高く維持される。そのせいで、ワークライフバランスが犠牲になったり、パワハラが起こりやすく、ブラック企業問題にもつながっている。

【図表3】雇用システムの違いが、社会問題も真逆に変える
※図表作成=海老原氏