復活のNTT…グループ再統合で再び「時価総額世界一」へ⁉ 私が大いに期待するこれだけの理由

私は日本経済の応援団として情報発信を続けたい──。「30年の眠り」から覚め回復基調にある日本経済、そして日本企業へ熱いエールを送り続けるのが、 ボストンコンサルティンググループ(BCG)日本法人やドリームインキュベータを率いた“伝説のコンサルタント”堀紘一さんです。今回は、NTTドコモに続いてNTTデータグループを子会社化し、6月にも分割民営化以来の「グループ再結集」を完了させるNTTに注目します。かつて「時価総額世界一」を誇ったNTTは特別な輝きを取り戻せるのでしょうか。民営化以前からNTTグループと深く関わってきた堀さんが、歴史的経緯を踏まえて今後を見通します。

民営化前から日本の半導体開発をリードしたNTTの“凄い実力”

ここ数年、NTTはグループ一体化に向けて本腰を入れて突き進んでいます。

2025年5月、NTTはシステムインテグレーションやデータセンターなどの事業を行うNTTデータグループを、TOB(株式公開買い付け)により、完全子会社化すると表明しました。

それに先立つ2022年には、グループ内の海外事業をNTTデータグループに集約する組織改編を実施しています。その時点でNTTはNTTデータグループの株式の6割を所有する親会社でしたが、さらに2兆円以上の資金を投じて、残りの株式をすべて買い取る計画です。

これは2020年12月に4兆円以上かけて携帯電話のNTTドコモを完全子会社化したのに続く、NTTグループ再編へ向けての大きな一歩といえます。

NTTグループは私のコンサルタント人生を通じ、長年の大口顧客でした。その恩義もあって、ことNTTに関しては今までかたく口を閉ざしてきたのですが、今回、グループ再編も佳境を迎え、一つの区切りとしてそろそろお話ししてもいいかと考えるようになりました。国家間の交渉の機密事項ですら30年で解禁されるのですから、私が30年前のコンサルタント時代の思い出を語っても、問題はなくなりつつあると感じています。

一般の人には電話会社と思われているNTTですが、その前身である日本電信電話公社(電電公社)は日本の半導体産業の勃興に大きく関わってきました。半導体の黎明期であった1960年代、1970年代を通じ、電電公社は日本の情報通信分野における圧倒的第1位の顧客であり、国内半導体メーカー各社とさまざまな共同開発を行い、日本の半導体企業の成長をリードしてきたのです。

1969年、アメリカのインテルが世界初の半導体メモリーを開発すると、電電公社はNEC、富士通、日立製作所などの国内半導体メーカーを糾合し、開発費を全額負担して通信機用LSIの開発を主導、1970年代には通信機用64KDRAMを完成させます。

本格的に普及し始めたコンピューターでDRAMが大量に使用されるようになると、共同研究で力をつけた日本の半導体メーカーはその需要に応え、1981年には64KDRAMでアメリカを抜き、世界ナンバー1のシェアを獲得。1980年代には日本製DRAMがその価格と信頼性で圧倒的な世界シェアを獲得するに至りました。

なぜ、米政府を手助けしたか…私が経験した「日米半導体協定」の舞台裏

このことがアメリカの半導体業界とホワイトハウスの反発を招きます。

1980年代初頭、折からの不況と生産過剰によりDRAM価格が急落すると、経営難に陥ったアメリカの半導体メーカーはロビー活動により「半導体チップ保護法」を制定させ、マイクロンやインテル、AMDといった半導体メーカー、米国半導体工業会(SIA)がダンピングや知的財産侵害などの理由で日本の半導体メーカーを提訴。大統領の補佐機関である米通商代表部(USTR)は通商法301条による制裁措置発動を打ち上げ、日本政府に半導体問題について交渉するよう迫りました。

これが1985年のことです。

コンサルタント人生を振り返ったとき、私の大きな後悔は、このときホワイトハウスからの要請を受け、日米半導体協定締結に向け、アメリカ政府側に立ってコンサルティングを行ってしまったことです。

守秘義務があるため具体的な話はできないのですが、この日米半導体協定に関するコンサルティングは、私の生涯の中でも、とりわけ出来のいい仕事の一つだったと思います。今思うと、あのような出色のレポートを求められるままにアメリカ政府に渡してしまったことは、日本国民としてどうだったであろうかと、忸怩たるものがあります。

私はこの件に関していかなる法律も犯していませんし、ただ顧客の依頼に応じて交渉における論理構成を考え、「このような論理で攻めていけば、日本政府はこの問題についてこの程度まで譲歩してくるのではないか」という予想を伝えただけです。しかしそうしたアドバイスは、日本人のものの考え方を知る、日本人コンサルタント以外には不可能だったでしょう。

日米半導体協定は1986年9月に第1次協定が、1991年に第2次協定が締結され、その後1996年まで10年間適用され続けました。

この協定は日本の半導体市場を米国の半導体メーカーに開放し、海外製半導体の一定のシェアを確保させること、そして米国市場での日本製半導体に対し、米国政府が設定した「公正市場価格」以下での販売を禁ずる、という内容です。

USTRは1987年には「協定が守られていない」として3億ドルの報復関税を決定。1988年には「スーパー301条」と称された対外制裁の追加条項まで制定し、日本に協定遵守を強要します。

「圧倒的に強い日本の半導体産業をなんとか弱体化させよう」というアメリカの狙いは大成功し、1990年代以降、日本の半導体産業は急速に弱体化していったのです。

日本の官公庁は一流コンサルタントの相場など知らず、民間企業に比べてはるかに低い料金しか提示してこないので、私たちは役所からの仕事はあまり受けません。

官公庁の仕事を大量に引き受けていたのは三菱総合研究所をはじめとする、いわゆる“総研系”でした。三菱総研の牧野昇さんは、「官公庁の仕事は1件で考えると大赤字だけど、47回もやればバカみたいに儲かるよ」とおっしゃっていたのを懐かしく思い出します。一方、私たちは引き受けるとしても報酬ではなく、国への貢献とか優秀な官僚とのキャッチボールで官僚組織の文法を知るといった別の理由で受けていました。

それに比べホワイトハウスはコンサルタントのことがよくわかっています。BCGやマッキンゼーなどからホワイトハウスに引き抜かれて政権の仕事に就いている人は常にいますし、政権が変わると辞めて元の職場に戻ってくる人も大勢います。それだけ人的交流があるので、コンサルタント業界の内情をよく知っているのです。

日米半導体協定の件で依頼があったときも、ホワイトハウスの提示した料金は日本の省庁よりも何倍も高額で、民間企業の相場に比べて若干安いぐらいのレートでした。彼らはちゃんとこちらの料金を承知した上で依頼してきているのです。

とはいえ私たちがこの件でホワイトハウスから得た報酬に対し、半導体協定締結によってアメリカ側が得た利益は100倍はおろか1000倍、いや1万倍、10万倍になったはずです。

民間企業のビジネスには売り上げ、シェア、利益などさまざまな要素が入ってくるため、ひとつの論理だけで物事を判断し、事業を進めていくことは難しいものです。しかし2国間の交渉は民間と違い、100%論理の世界です。外国との交渉において相手国の内情を知る優れたコンサルタントを雇うことは、おそらく最も割のいい買い物であり、アメリカ政府はそれを心得ていました。

旧郵政省が押し付けたNTTの「分割」と「開示義務」

さて、ここでいよいよNTTが登場します。

NTTはこの日米半導体交渉の渦中だった1985年、中曽根康弘内閣の行財政改革により電電公社が民営化されたことで誕生しました。BCGはNTTの創設以来、一般的な案件からそうでないものまで、さまざまな事案について依頼を受け、仕事をしてきたのです。

今だから言えますが、その中でも最も重要度が高かったのが、「NTTを解体しようとする郵政省(現 総務省)に対抗し、分断を防ぐ手立てを考える」という事案です。

旧郵政省はなぜNTTを解体したがったのでしょうか。第1には「これからのIT時代、電話や携帯電話などの情報通信は産業の基幹といえる。それをNTT1社が独占しているようではいけない。健全な競争が必要である」という、真っ当な理由からです。

中曽根内閣は電電公社民営化と同時に通信も自由化し、電電公社が独占していた固定電話サービスが民間企業に開放されました。そこで当時、新電電と呼ばれた、第二電電(DDI)、日本テレコム、日本高速通信などが電話サービスを開始しましたが、NTTグループと比べると、正直言って大学生と小学生ぐらいの差がありました。

NTTはトップクラスの研究者、技術者を大量に抱えており、規模といい、事業内容といい、他社とスケール感が全然違うのです。例えばNTTには武蔵野に研究所があり、そこだけでも博士号を持った人が300人くらい最先端の研究に従事していました。

しかし郵政省がNTTを解体したがったのは、通信事業の競争環境確立だけが理由ではありません。そもそも郵政省とNTTは犬猿の仲だったのです。

郵政省は日本の中央官庁の例にもれず、東京大学法学部出身者を中心とする事務系すなわち文系主体の組織です。一方でNTT、またその前身である電電公社は、東京大学工学部を中心とする技術系=理系中心の組織でした。ただし郵政省とNTTは対等ではありません。郵政省は通信業界を管轄する省庁であり、NTTより立場が上なのです。

ところがNTT側は「情報通信技術に関しては自分たちのほうがはるかによくわかっている」と自認していて、何かにつけ「郵政省の文系の官僚にはわからないだろう」といった態度を取りがちでした。そして役所からの指示に対しても、「それは合理的じゃない」などといって素直に聞かないので、郵政省にとっては非常に目障りな存在だったのです。NTT分割には「なんとかあいつらを弱体化させたい」という、あまり真っ当ではない感情的動機が底にあったわけです。

この郵政省の動きにはNTT側も勘づいていて、私たちBCGがNTTの経営企画部からの依頼を受け、対抗策を考えることになったのです。

BCGには当時から、国家公務員の上級職(現:総合職)試験に通り中央官庁に勤めたものの、役所の仕事が嫌になって退職し、コンサルタントになった人材がいました。彼らは公務員の論理と公文書特有の文章作法を知悉しているので、役所相手の仕事をやらせたら、これ以上頼もしい味方はいません。

しかしいくら良い対案を考えて反論しても、それを採用するかどうか決めるのは役所の側です。郵政省のプランと2つ並べられ、あちらがどちらかを選ぶのですから、残念ながら私たちのプランは毎度退けられ、NTTは着々と分割されてしまいました。

1985年の民営化後のNTTの歴史は、分割の歴史です。1988年にはデータ通信事業を担当するNTTデータグループが、1992年には移動通信事業を行うNTTドコモが分社化され、1999年には持株会社をNTTとした上で、固定電話事業をNTT東日本、NTT西日本に分割、また長距離通信事業や国際通信事業、法人向けサービス等を行うNTTコミュニケーションズも分離独立させられました。

郵政省がNTTに課した重荷は、会社分割だけではありませんでした。

電電公社民営化に伴い1984年に制定されたNTT法では、NTT内で行われた研究の成果を外部にオープンにしなければならないという「開示義務」が課されていたのです。それまで電電公社は日本の半導体産業を引っ張る存在だったわけですが、この開示義務によりそれまで積み重ねてきた研究成果が海外に流出し、国内各社がNTTとの共同研究に二の足を踏むという問題が起きてしまいました。

アメリカはもちろん、韓国のメーカーにも台湾のメーカーにも、NTTが苦心して開発した発明や技術が筒抜けになったのです。それも一度きりではなく、開示義務はその後40年間も続きました。この法律によりNTT、そして日本の半導体産業そのものの競争力が大きく阻害されることになります。

分割の歴史①…当初は存続も危ぶまれ“持参金”つきで独立したNTTデータ

1988年にNTT内でデータ通信事業を担当する部門がNTTデータとして独立したとき、NTT社内では「分離されたら赤字続きで経営が成り立たなくなるのではないか」という懸念が持たれていました。

経営不振が続いて倒産でもしてしまったら大変だということで、分割の際、NTT側は4000億から5000億円の「持参金」を土地・建物などの形でつけています。年間の赤字が400億から500億円程度出るのではないかと危ぶまれていたので、10年分の赤字を補填できるだけの資金を前もって手当てしたわけです。

それぐらい心配されたNTTデータの経営ですが、実際に独立して事業を始めてみたところ、予想外の優良企業になりました。注文がどんどん入ってきて社員が足りないという状況になったのです。

NTTデータはデータ通信のほか、システム構築(システムインテグレーション=SI)事業を行っており、システムインテグレーターとしては、国内にほかに比肩する相手がない状態でした。

巨大なシステムを構築するには、それ相応の数の技術者チームが必要です。社会保険のシステムなどは1件1000億円にもなるビッグプロジェクトで、普通の電機メーカーのSI部門ではそのシステム設計に必要なだけの数の技術者を揃えることができません。そんな巨大システムをつくることができるのは当時の日本ではNTTデータぐらいしかなかったので、事実上、市場を独占することができたのです。

先年逝去されたNTTデータ初代社長の藤田史郎さんは、東大出が幅を利かせる中では異色といえる、茨城大学工学部の出身でした。NTTでは地方大学の出身者が役員になることはめったにありませんが、藤田さんは常務取締役、データ通信事業本部長となって、NTTデータが分割されたときにその社長として送り出されたのです。それだけ優秀な人でした。

藤田さんは私のことを気に入ってくれて、本体からの分離後も、ずっとBCGを使ってくれました。当時はそれに加え、NTTデータの経営企画部のトップが私の高校時代の1年先輩だったというご縁もあり、NTTデータのコンサルティング案件は私たちが独占していたものです。

分割の歴史②…経験は役に立たない!論理で展開した新事業「携帯電話」の大成功

1992年、NTTデータに続く2度目の分割でできたのが、携帯電話会社のNTTドコモです。初代社長は大星公二さんという方で、やはりNTTの常務取締役企業通信システム本部長から、新会社NTTドコモの社長に転じています。

大星さんは多趣味で知られ、分割前、NTTの役員の中でも異彩を放っていた存在でした。ご自分ではそのせいで親会社から放り出されてしまったとお考えだったようです。

今では考えられませんが、NTTドコモの分割当時、携帯電話事業がはたして物になるものかどうか、誰もわかっていなかったのです。NTTでは1987年以来、5年ほど携帯電話を販売してきましたが、高価な上に接続が悪く、まったく売れていませんでした。当時の日本の携帯電話の普及率はわずか1%ほどで、携帯電話事業は赤字続きだったのです。

赤字会社の社長を押し付けられた大星さんは「俺を放り出しやがって」と怒っていて、「出された先で打率4割、50本塁打打ってやる」と言い、猛烈な勢いで携帯電話事業に邁進していきました。

端末の価格、通信料金を戦略的に下げ、無線局を増やして通話品質を改善。そして1999年、ドコモは世界初の携帯電話によるインターネット接続サービス「iモード」を発表。一躍大ブームを巻き起こします。大星さんの個性的な言動もマスコミに次々と取り上げられるようになり、大きな宣伝効果を発揮しました。

NTTドコモの2代目社長は、NTTから来た立川敬二さんです。頭が切れ理屈のわかる人で、私のこともかわいがってくれました。

実際、携帯電話のようなこれまでにない新規事業では、一流のコンサルタントを使うことは大正解であったと思います。誰も経験がないので、論理に従って経営戦略を立てて進むしかないからです。最も優れた論理にしたがって動いた企業が勝つ、そういう世界です。

結果として、存続すら危ぶまれていたNTTドコモは誰も予想しなかった大成功をつかみました。携帯電話は一世を風靡し、ドコモの社員たちは肩で風を切る勢いで、私たちも期待に応えて結果を出したということで、同じように肩で風を切って歩いていた気がします。この当時こそ、私のコンサルタントとしての絶頂期だったかもしれません。

30年前、私が思い描いた姿に…再統合NTTはトヨタ同様「日本企業の象徴」だ!

NTTの分割に執心していた郵政省は2001年の省庁再編で消滅し、情報通信部門は総務省に吸収されることになりました。以後はNTT分割の動きも止まり、2010年代後半からは再統合に向かって流れが逆転していきます。

ここ数年のNTTグループ再編成の流れは、1980年代から90年代にかけて分離されていった子会社が、持株会社であるNTTの傘下に集合する形になっています。それは私たちが30年前に考えていたNTTグループの姿でもあります。

NTT再統合が認められるようになった裏には、世の中が変わってきたということがあるでしょう。独占が問題視された固定電話はその役割を縮小し、携帯電話でもKDDI、ソフトバンク、楽天といった競争相手がしっかり成長してきたので、NTTを元に戻してももう大丈夫、1社独占に戻ることはないと思われます。

2024年4月、長らくNTTの足かせとなっていた「研究成果の開示義務」を外した改正NTT法が制定され、ようやく研究開発において世界の企業とまともに戦える体制ができました。

かつて世界の生産額の50%を占めていた日本の半導体生産は、今では世界シェア10%まで落ちています。躍進する台湾、中国、韓国に対抗するためにも、強力なテコ入れが求められるようになり、NTTには反攻の中心を担うことが期待されます。

私のコンサルタントとしての経歴は、BCGにおけるホンダから始まり、ドリームインキュベータ時代はトヨタが最大の顧客でした。ホンダとトヨタは対照的な組織文化を持つ会社で、ホンダではプロジェクト方式で各部門を横断したシビック・チームとかアコード・チームが開発の主役です。対するトヨタは全く逆で、エンジン、シャシーといった各部門が大活躍をしますが、部門間の上に主査という人がいて、コーディネートしていました。結論からいうとホンダのやり方は世界のどこにもないユニークなやり方でした。一方、トヨタは日本企業の象徴といえるでしょう。

ラグビーに例えれば、トヨタはスクラム勝負のチームであり、ホンダはバックス勝負のチームです。そしてNTTはトヨタと同じくスクラム勝負の会社です。優秀な理系の人たちが寄り集まって支え合っている。だからこそグループ再編に大きな意味があるのです。

NTTがトヨタと似ているのは、社員の人たちの価値観です。帰属意識がとても強く、「会社に貢献しなくては」という気持ちがみなぎっています。さらに言えば、わが国・日本への貢献意識も強いのです。

そういった組織は逆境でも簡単には壊れません。ハンマーでたたかれれば多少ボコボコになっても、足腰はしっかりしたまま耐え抜くのです。NTTも独占批判や分割の荒波を乗り越え、新たな時代を迎えようとしています。

NTTグループが一つの組織に戻ったとき、その先の事業展開の目玉となるのが、光半導体を基盤とする次世代情報通信基盤構想、『IOWN(Innovative Optical and Wireless Network/アイオン)』です。

IOWNについては、NTTが2024年2月に商用サービスを開始しており、NTTでは2030年頃には本格的に普及すると予測しています。それを支えるのが光半導体で、NTTの光半導体の技術は世界でも断トツといわれており、光通信基盤が広く普及すれば、世界中から特許料が舞い込み、グループの年間利益に貢献してくれるでしょう。

光と電気ではまずスピードがまったく違い、NTTでは「伝送容量が今の125倍になる」と言っています。さらに「消費電力も今の100分の1で済む」としています。送信の遅延は200分の1になり、これは現在、世界で開発競争が展開されている自動運転において、とりわけ大きなアドバンテージとなります。

現状の半導体の欠点の一つは、電子が動くことで素子が熱くなるため、冷却装置が不可欠なことです。空調費用がコスト要因になるだけでなく、そこで消費される電力も大変なもので、すでにアメリカでは全米の電気使用量の10%から15%が半導体関連だといわれています。今後AIが普及していくと、その電力消費がさらに膨れ上がることは確実です。

それほど大きな電力となると、太陽光や風力などの再生エネルギーで賄うことは難しいでしょう。化石燃料に頼るか、原子力でやるかの二択です。

しかし今の半導体が光半導体に変われば、そうした電力の問題も解決してしまうのです。地球環境全体に影響を与えるような、数十年に1度の大発明です。

この光半導体で勝てるかどうかは、NTTだけでなく日本経済全体の大問題といえます。

もし私が20歳ほど若かったら、このIOWN事業は命を懸けても手伝いたい仕事です。私にとっては日米半導体協定の件の贖罪でもあり、「無償でもいいから」と願い出て、無理にでもチームに入れてもらうところです。

携帯電話でインターネットにアクセスし、テキストや画像データをやりとりする「iモード」は、NTTが世界で最初に開発したにもかかわらず、海外で普及させることができませんでした。1980年代には時価総額世界一を誇ったNTTですが、千載一遇のチャンスを逃してしまい、その後、iPhoneなどスマートフォンの台頭を許して、今は世界50位にも入っていません(ちなみに日本企業ではトヨタの49位が最高です)。

そのNTTがもう一度、エヌビディアやマイクロソフトを抜いて世界一に復帰できるかもしれない。そういうチャンスが見えているのです。私は日本人として、是が非でも応援したい。

三菱UFJ、三菱商事との共通点…NTTが「買い」だと考えるわけ

あなたが投資家で、これから5年間持ち続ける忍耐力があるなら、NTTの株は「買い」です。

光半導体についてはぼちぼち情報が出つつありますが、証券会社のアナリストは誰もその本当の価値を知りません。

私がある会社の株を買うと、だいたい目をつけてから1年から3年ほど経ってから、株価が上がり始めます。というのも私は「この会社が5年後にどうなっているか」を考えて株を買っているからです。証券会社のアナリストは直近の業績しか見ていないので、私が株を買ってから何年か経って、ようやく私が気がついたことに気がつき、そこで株価が上がってくるのです。

私は自分が創設したドリームインキュベータから引退したときに、「辞めたのにいつまでも株だけ持っているわけにもいかないな」と考えて、自分の持ち株を手放し、代わりに一般企業の株を買うことにしました。

そのときに選んだのが三菱UFJフィナンシャル・グループです。当時1株四百数十円だったと記憶しています。しかしその事業内容を調べると「おかしい。この会社の株がこの値段でいいはずがない」と思えました。

しかも三菱UFJだったら、つぶれることはまずありません。つぶれそうになったら政府・日銀が必死に資金をつぎ込んで支えるからです。というのも、メガバンクの三菱UFJ銀行が倒れれば、確実に100万社規模の会社が連鎖倒産します。失業者は1000万人レベルになるでしょう。その人たちを支えるとしたら莫大なお金が必要になります。そうなるくらいなら、三菱UFJにお金をつぎ込んで倒産させないほうがよほど安上がりなのです。

そういった考えもあって三菱UFJの株を買ったのですが、今では株価がその頃の4~5倍に上がり、2000円前後になっています。

三菱UFJの次に買ったのが、三菱商事です。三菱商事は私がかつて勤めていた会社です。その後、世界的投資家のウォーレン・バフェットさんが買ってくれたことで大きく上がり、こちらも相当儲かってしまいました。これについては私の目利きというより、「こんなこともあるんだな」という感覚です。

いずれにしても、私が選んだ会社の株はどこも数年後に大きく値を上げています。NTTの将来についても、私は同じ感触を持っているのです。

(構成=久保田正志)