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株式上場は経営者にとってゴールではなく出発点だ。上場からおよそ10年にわたり、企業価値を伸ばし続けた経営者は何に注力してきたか、そして今後の10年で何を目指すのか。目線の先を語ってもらうPRESIDENT Growth連載【トップに聞く「上場10年」の成長戦略】。今回のゲストは、バルニバービ(2015年、東証マザーズ上場=現在は東証グロース市場上場)を創業した佐藤裕久会長――。

兵庫県・淡路島で行う「飲食×宿泊」

2024年7月24日、淡路島(兵庫県南あわじ市)最南端の山の中に一軒家のリゾートレストラン「TRATTORIA amarancia」(トラットリア アマランチャ)がオープンした。周囲に建物はほとんどなく、断崖の上から広がる海が一望できる。全130席のうち、テラス席が70席(店内60席)、晴れた日には文字通りのオーシャンビューもご馳走だ。ロケーションとこだわりのイタリアンが人気を呼び、多くのお客が訪れる。

この店を運営するのがバルニバービだ。「GARB」や「グッドモーニングカフェ」をはじめ、 現在は東京、横浜、名古屋、京都、大阪、博多の6大都市を中心にカフェやレストラン、ホテル、バーなど102店(2025年7月末現在)を運営する。

一方で、2015年以降は「食」を切り口に地方活性化にも注力する。2019年に進出した淡路島はそれを象徴するエリアだ。2020年7月開業の「カモメ スロー ホテル」、今年4月15日にオープンした5棟からなるプライベートコテージなどの飲食・宿泊施設を中心に、淡路島地域の活性化に貢献している。

同業他社が「外食」にほぼ特化するのに対して、なぜバルニバービは外食だけでなく地方の創生・再生まで関わるのか。創業者の佐藤会長に聞いた。

飲食業参入のきっかけは阪神・淡路大震災

「現在は多くの事業を手掛けており業績も順調。昨年の店舗売上はほぼ予算通りです。とはいえ各事業の遂行は、基本的に安藤(安藤文豪代表取締役社長)をはじめ他の経営陣に任せています。ぼくは会社の進む方向性を描き、最終的な責任をとる立場です」(佐藤会長、以下特記のない発言は同氏による)

その経営哲学は「自分のやりたいことを仕事に」「自分が本当に行きたい店か?」だ。

「飲食業を始めたのは『食の仕事は本当に幸せを感じられる』と再確認したからです。1995年1月17日に第2の故郷ともいえる神戸が大震災に遭い、そこで炊き出しを行った時に被災された方の喜ぶ顔を見て『食べ物は人を笑顔にし、それを見てぼくは幸せを感じられる』と、背中を押されました。

うちの家系は、ひいじいちゃんが京都・吉田山にレストランを開いていて、おばあちゃんはその店の料理人。ぼくが生まれた時にはお菓子屋になっていましたが、おばあちゃんは、ハイカラな料理を作り、そして教えてくれました。ぼくはそれが楽しかった。でも父親はそれを快く思わず、成長して『料理の学校に行きたい』と言うと『アホなこと言うな』と一蹴。『水商売に手を出すな』と言われて育ちましたが、根底には飲食への思いがありました」

佐藤裕久会長1
佐藤 裕久(Hirohisa Sato)
1961 年8月生まれ、京都府京都市出身。神戸市外国語大学英米学科に入学、在学中に学生ビジネスを立ち上げる。中退後にアパレル会社に入社。24歳でアパレル業を興すが、3年後に経営破綻。1991年、30歳で有限会社バルニバービ研究所を設立。1995年、飲食業に参入して株式会社バルニバービを設立。現在は代表取締役会長CEO兼CCO(最高経営責任者兼最高創造責任者)。

順調だったアパレル業で経営破綻

神戸の大学に進学した佐藤氏は、在学中からイベント運営などでお金を稼ぎ、やがて中退。アパレル会社でのサラリーマン生活を経て24歳の時、アパレル業で起業する。

「学生時代も最初に起業した時も目的は『お金をもうけること』でした。当初は順調で25歳で年収は同級生の数倍ほど、愛車はポルシェ、住まいは芦屋のマンションという暮らしでした。ところが27歳の時、すべて失います。まず火災で自宅を焼失。その3日後に独占契約していたパリの人気カジュアルブランドの倒産が判明。さらに4日後には出店先の百貨店から月内での退店通告(人気上昇中の他社ブランドを入れるため)を受け、やがて経営破綻しました」

転落して初めて気づいたのは、「自分はお金では幸せになれない」こと。まだ20代で、事業の借金を返すために友人の会社で必死に働いた。夕方以降は個人事業でも仕事を重ねた。

社名「バルニバービ」に込めたもの

借金返済のめどがついた1991年、「バルニバービ」を設立する。

社名の由来は『ガリバー旅行記』(ジョナサン・スウィフト著)の主人公・ガリバーがたどり着いた国の名前から。何の役にも立たない実用性のない研究や実験を行う国(バルニバービ)を反面教師にするという思いが込められているという。

飲食1号店の「アマーク・ド・パラディ」(1995年、大阪・南船場)のオープン準備に際し、どこからともなく来て、去っていった女性ボランティアを“風の又三郎子”と称するなど、佐藤氏のネーミングのセンスには文学の薫りがする。その源を聞くと、「小さい頃の経験からでしょう。子ども時代に父親から許されたのは学校の勉強、家業のお菓子屋の本を読むことでした」。

とはいえ、家業の手伝いは小学生には苦痛だった。学校の友達がプールに行っている時も店で接客し、クリスマスケーキを楽しむ友達を横目にケーキを配達していたと聞く。

「父親に命令され仕方なしに働いていましたが、やがて幼くして頑張る子どものぼくを目当てにお客さんが来てくれることを実感しました」。小学生にして“看板息子”だった。

持ち味は「バッドロケーション」

佐藤氏の半生を紹介したのは、それが同社の特長につながったからだ。感性を武器に訴求するのは、「バッドロケーション戦略」にも表れている。持ち味のバッドロケーションとは、人通りが少なく、一見すると不利な土地だが、訪れた人がほっとする環境に恵まれた場所を選び、訪れる人に“映像”を描かせるような体験を提供すること。

「淡路島であの場所を選んだ理由も同じです。ぼくたちが進出するまで周囲に何もない場所でしたが、視点を変えれば眺望が独占できる。1号店の南船場の店も“バッド”でしたが、当時は資金がなくて家賃の高い場所を借りられなかった。でも、もともとあった価値に目を向ければ、お客さんが来てくれるようになりました」

そうした視点を安藤社長ら今の経営陣が受け継ぎ、独自の嗅覚で事業を展開する。現在は少額投資の場合は、中間報告を受けるまで佐藤氏が知らない案件もあるという。

「地方の創再生は、バッドロケーション戦略の進化系といえますが、土地を買ってその場所に根づくことも進めています。店が話題となり周辺地価が上がっても、不動産を所有していれば店の継続性を担保できます。その場所に魅力を感じて近くに家を買った従業員もいます」

同社の施設の横で地元住民がカフェをオープンした例もある。地域と共に価値を広げる姿勢も大切だ。

自己採点は「50~60点」

業績を見てみよう。2025年7月期連結業績は、売上高「143億3600万円」(前年同期比6.6%増)、営業利益「6億3800万円」(同1.4%減)、経常利益「6億2100万円」(同3.9%減)。

会長として、この数字をどう見ているのか。

「事業の中心はカフェやレストランなので、1杯500円や600円のドリンクを販売して積み上げた数字です。諸経費高騰で利益幅は上下しますが、現場スタッフをはじめ、ひたむきに頑張っていると思います。ただ、ぼく自身の自己採点は50~60点でしょう」

本稿執筆時の株価は「1136円」(9月18日終値)、時価総額は「124億5300万円」となっていた。

事業や店舗展開は経営陣や現場に委ねることも多いが、継続の判断基準は「違和感」だという。

「『飲食を通してなりたい自分になる』というのが我々が大切にする言葉で、スタッフは、やる気さえあればチャンスもありますし、ステップアップもできます。失敗は誰にでもあるので、挑戦する環境も用意します。一方、経営者としては、志が同じと思う事業はできるだけ続けますが、“これは違うな”と感じたら撤退することもあります」

佐藤裕久会長2

丸亀製麺とは違う道を進む

2021年、安藤文豪氏を後継者に指名した。

「2015年の上場から時を経て、事業も成長したので、常務取締役COOから代表取締役COO に任命しました。判断基準は『ぼくのできないことを実現できる人』です」

29歳で中途入社した同氏には、最初の面談時から感じるものがあったという。

「彼は25歳で起業して2年半ぐらいは好調でしたが、やがて行き詰まり事業撤退しています。債権者に追われた、かつてのぼくと同じ目をしていました。

時々、『佐藤さんはワンマンでしょう?』と聞かれますが、とんでもない。経営判断をめぐって社長とも時に意見がすれ違いますが、『ぼくはこう思います』と向こうは折れない。一度帰宅して冷静になってから、もう一度会って話し合い、こちらが納得した案件もあります」

実は、丸亀製麺を創業したトリドールホールディングス代表取締役社長の粟田貴也氏と佐藤氏は、神戸市外国語大学の同級生。共に中退後、飲食業を始めた共通点もある。メディアの対談でも「粟ちゃん」「佐藤君」と呼び合う関係だ。

「丸亀製麺を中心に国内外に多くの店を展開する経営センスは素晴らしいですが、バルニバービはその対極にあります。今後も飲食を土台にクリエーションを活かし、唯一無二の場を生み出すことにこだわりたい」

唯一無二の「変なことをする会社」でいたい

飲食業に参入して今年で30年、地方の創再生に関わって10年、佐藤氏はこう総括する。

「ぼくは自分の思う飲食人の可能性を広げていく作業を30年やってきました。バルニバービには飲食が好きで、“食で人に喜んでほしい”人材、“自分なりに自己表現をしたい”人材がどんどん集まってきた。それが今、結実しようとしています。

バルニバービの未来は、困難もあるでしょうが非常に面白いと思っています。たぶん一般の常識にとらわれない、唯一無二の変なことをやっている会社だからでしょうね」

佐藤氏の感性や嗅覚を受け継ぐ従業員も、飲食は「自分が本当に行きたい店」、地方の創再生は「自分がやりたいこと」で取り組み、創再生の軸には飲食店がある。競合とは違う独自視点が数字として結実すれば、これまで以上に顧客や市場に評価されるだろう。

(文=経済ジャーナリスト・高井尚之 撮影=石橋素幸)

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