一所懸命に書いたことを認めてくれた

以後も、原子力、セックス、官僚社会と、それまでは半ばタブー視されていたジャンルに切り込みつつ、政財界の実力者たちを取材し、精力的に発表していった。やはり、「才能も能力もない」というのは謙遜に過ぎるのではないかと、なお訊ねたが……。

だって、才能があるなら、NHK,朝日新聞、TBS……どこかに受かるでしょう。全部落ちたんだもん。

才能は本当にない。強いていうなら、一所懸命に書いてきたことを、建前ではなく、本音の部分で認めてくれたんじゃないかな。そうであったのなら、ありがたいことです。いまの中国やロシアのような国に生まれていたら、僕は絶対に食えなかった。本当にありがたい。

執筆活動と並行して、田原氏が長年、取り組んできたのは、1987年に放送が始まった『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)などの討論番組の制作や企画立案、そして司会進行役である。初期の『朝生』は、歯に衣着せぬ映画監督の大島渚、直木賞作家でタレントなどとしても幅広く活躍した野坂昭如、保守の論客として知られた東大教授の西部邁ら各氏が毎回、パネリストとして登壇し、たばこをスパスパとくゆらせながら、「ばか野郎!」「ふざけるな!」と怒号が飛び交う大カオスの番組であった。

同席する30代の編集者が「田原さんはいつもテレビで怒っているおじさん、というイメージを持っていました」と話した。

でも、『朝生』が始まったころは、大島さん、野坂さん、西部さんといった非常にうるさ型の出演者ばかりで、僕が反論したら、逆にガーンと反論されて、こっちが潰された。それが面白かった。勢い余って僕が怒ろうものなら、ドカーンと怒り返してくるような人たちばかりでしたよ。

田原総一朗氏
撮影=遠藤素子
当事者の話を聞くことは大事という。それでも「ついね、本気になると。聞く力が失っちゃうんだよね」と本音をもらす

「人の質問を最後までちゃんと聞いてください!」

ところが、大島さん、野坂さんたちが出演しなくなって亡くなっていくと、僕の反論に、2倍、3倍の反論をぶちかましてくるような人がいなくなっちゃってね。だから僕はいつも怒っているおじさんというイメージを持たれるようになったのかもしれない。大島渚さんのような人がいてほしいなあ。

最近、常連パネリストでもある国際政治学者の三浦瑠麗氏が『朝生』での田原氏の長広舌ぶりを「独演会」と評したり、SNS上で「田原は他の出演者の意見に耳を貸さない」などといった批判も散見されたりするようになって久しい。2月末の『朝生』でも、共産党参院議員の山添拓氏の意見をさえぎった場面はSNSで拡散され、批判を浴びた。そのことにふれながら、訊ねた。

――田原さんは、「共産党は大企業を敵視しているから」と決めつけたりして、パネリストの意見を途中でさえぎったりして……。

僕は共産党嫌いなんかじゃないですよ。むしろ期待してます。ものすごく期待して……。